2012年04月17日

別れの季節

4月13日金曜日19:47、とてもお世話になった方が亡くなった。
いつかは恩返しをと思いつつ何もできないまま、逝ってしまった。

その人はイラストレーターで、かなりバラエティに富んだ仕事をしていたが、晩年はある雑誌の表紙一本に絞って描いていた。
昨年3月から入院していて、それでも仕事は続けていた。

昨年の秋ごろ、コンビニで見かけたその雑誌の表紙に「アレ?」と思った。「随分と絵が雑になったなあ。よっぽど体調が良くないのだろうか」なんて訝しがりつつ手にとって確認すると、違う方のイラストであった。

もう仕事をする体力は亡くなっていたが、頭ははっきりとしていて、思うようにならない身体がもどかしかったんじゃないだろうか。

もっとお見舞いに行けば良かった。
もっとたくさん話もしとけばよかった。

自分の言動を思い返すと、迷惑ばかりかけていたのに。


死について考える。

ちょっと前の「親子で餓死」「都内で孤独死」というニュースは身につまされるというか、自分も多分その類だろうと思うのだけれど、父方のじいさんばあさん、母方のじいさんばあさん、みんな最期は病院のベッドの上で死んだ。どっちがどうなんだろうかと考えだすと思考の樹海に迷って出てこれなくなる。
昔ちょっとだけパートで働いてた店の主に「(あんたは)自殺組だな!」って言われたことある。びっくりした。

あれこれ思ってぐちゃぐちゃでうまいこと文章にならない。はあ。
もうすこし心が落ち着いたら、以前頂いたイラスト集をもういちど見ようと思う。
posted by 三蓋松 at 15:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月19日

あの日以降、漠然と考えていること/新聞


 今年もあと二週間を切った。

 3・11(というか東京電力福島第一原子力発電所の爆発)以降、色々な事が変わった。



 平成23年辛卯は、平和ボケという生ぬるい夢の中から醒めた年。

 何かを食べるたび飲むたび「これはお幾らベクレルなのかしら?」なんて何の気なしに思ってしまうようになった。
 今年の初めには「ベクレル」も「シーベルト」も、「セシウム」も「ストロンチウム」も「テルル」も知らなかったし、内部被曝と外務被曝について考えたことなんてなかった。だって、スカスカおせち(買ってしまった人は気の毒だけれど)やらタイガーマスクのランドセルやらで騒いでたんですぜ?ノーテンキだったよなあ…

 民主主義や資本主義についても考え、「嘘と本当」「鉄面皮」「愚直には生きていけない」などなど悶々としがちだった。

 あれこれと言葉をこねくりまわして屁理屈を並べたって、事実は事実として変わらないのになあとか。
 嘘をさらりと言える人は社会的に成功するとか、なぜわしは嘘がつけないのか考えて、「嘘がつけない=ばか正直=うすらばか」という結論に至った。「わし=うすらばか」かつ「わし=考え過ぎて自滅する」。




 ブログの主旨からは相変わらず遠のいている。

 江戸について思いを巡らせど、私は電気とガスと上下水道なしには生きていけない。どぶ板も蚊柱も冷たい水での洗い張りも裏長屋での生活も人切り包丁もご免だが、何故だか江戸に憧れる。現実逃避。


 

 変わったことと言えばもう一つ。

 新聞にちゃんと目を通すようになった。

 今までは割とムラがあって読むときと全く見もしない時との差が激しかったんだが、あの事故以降、読んでいる。読むのが遅いので時間がかかる。これもうすらばかだからだろうか。


 昔は毎日新聞だったが、だいぶ前から東京新聞に変わった。かれこれ15年くらいか?一時新聞屋さんに頼まれて産経に変えたが好みに合わなくて「読む所が無え!」となって東京新聞に戻った。


 いやあ、新聞って、いいものですね。
 読み応えがあるし、読後は掃除やら猫のトイレの始末やら色々使い道もあるし。

 おつきあいでずっと赤旗も取っているのだが、これも、ちゃんと読むようになった。けっこう読み応えがある。(漫画についてはどういう意図で載せているのか疑問)地域活動のチラシと、月刊の中央区議団ニュースも一緒に届く。この区議団ニュースに放射線測定結果が載っている。
10月下旬の放射線測定で高い数値が出た場所

↑10月下旬の放射線測定で高い数値が出た場所(日本共産党中央区議団ニュース2011年12月)

 事故前の基準「年間1ミリシーベルト」(1000マイクロシーベルト÷365日÷24時間=0.114155251)つまり、一時間当たり0.114マイクロシーベルトを目安とすると…
 うちはビルの谷間にあって、植木もけっこうある木造住宅。(うちでは測定はしていないしする気もない)
 食品は、東北・関東の物を食べているし、水道水もがぶがぶ飲んでいる。魚だって食べてる。


 二年後、五年後、十年後、どうなっていることやら。

 同じくらい被曝していても、なんともない人もいれば、死んでしまう人、病気になってしまう人もいる。こりゃまるでロシアンルーレットじゃないですか…

posted by 三蓋松 at 07:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

こぢんまりと

なんかやる気の無い状態がずっと続いていてこのブログの主旨も忘れかけている。

ボーっとしているうちに歌舞伎座も華僑ビルもなくなった。
特に感慨もない。どうでもいいやもう。

今年は節電しなきゃいけないらしくて、テレビでは緑化とか緑のカーテンとか頻りに特集している。
愛猫とゴーヤ
いじけたゴーヤ
わしも何年か前から毎年ゴーヤ育ててた。
でもやめた。
実が生っても 誰 も 食 べ な い んだもん(´;ω;`)
誰も食べないので生った実を収穫せず放置しておくと、黄色くなって、しまいにはパックリ弾けて、真っ赤な種が顔をのぞかせる。

昨年はまくわ瓜を育てた。
はじめて育てた割には、うまくいったとおもう。
真桑瓜なら、父も母も食べてくれるし。
真桑瓜

節電節電って流行ってるから、どこの家庭もアンペア数下げればいいと思う。
家はたしか20アンペアだ。わしが子どもの頃からずっと同じ。
ドライアー・電子レンジ・トースターのいづれか二つを同時に使うとブレーカーが落ちる。
エアコンは使っていない。あえて使わないのではなく、電気くうから使えない!だから暑いよ。ひと夏じゅう常に汗まみれだよ。

 


このごろ集中力がなくて読書が進まない。

「東京骨灰紀行」という本が好きで、ときどき読み返している。
二〇〇九年九月十日初版第一刷発行、小沢信男さんの著作。

辛口なことを、さらりと言って読みくち爽やか。多くの人が死んだ場所を巡る内容なのに、じめっとしていない。
両国、日本橋、南千住、築地・明石町、谷中、多摩、新宿、と巡り、再びの両国でシメる。あとがきすらも味わい深い。

  
(15頁)
野口武彦『安政江戸地震』(ちくま新書)は、ズバリと語る。この地震の「事後処理がうまくできなかった徳川幕府は十二年後に潰れた。……一般に、巨大災害の後の手当てをきちんとやれない国家権力は長続きしない。」


(91頁)
 ノモンハンの痛手にも懲りず軍部は驕って戦線をひろげ、いよいよ本土空襲への対策はバケツリレーに、火叩きに、防空頭巾に、備蓄食糧はポケットに炒り豆と烏賊の足があれば上等だった。こんないでたちで一夜に十万人が焼け死んだ。およそこの国に払底したもの、先見の明。ありあまるもの、短慮。

(170頁)
 どうやら現代は、集落、一族、結社、終身雇用、組合、さまざまの共同体からぬけだして、万人が砂粒のごとき流民となる社会をめざしている。人間は使い捨ての労働力でさえあればいい、資本主義という怪物さまのおかげをもって。


こうやって辛口な部分だけ書き出してみると、かえってこの本の良さが伝わらないと気付いた(´・ェ・`)

しかし歴史を振り返ってみると、どんなに文明が発達して科学技術が進歩しても、昔も今も人間のやっている事って変わってないなと思う。結局は権力とお金だ。
もうさ、事が起こっても責任取れない(もしくは取る気がない)んだから、大風呂敷を広げるのはやめにして、みんなこぢんまりと生きていけばいーよ。

posted by 三蓋松 at 14:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

もうすぐ取り壊す華僑ビル


築地は晴海通り沿いに、「華僑ビル」という建物がある。

2008_04_27.JPG

真ん中の、網をかけられているのがそうである。


このビル、前々から気になっていたんだけど、とうとう壊されてしまうことになった(´;ω;`)

今月中にはもう壊す準備を始めると小耳にはさんだので、早速今日見に行ってきたのだけれど…

よその建物にづかづか入って勝手に見て回ったり写真撮ったりできないので管理人さんに聞いてから。
今日は土曜日だからか受付には居なかったので、恐る恐る廊下を進み奥の管理人事務所の扉をノック。

出てきたのは小柄なおばさん。

私「このビル今月中に壊し始めるって聞いたんですが…」
おばさん「はい、そうですよ。」
私「見学してもよろしいですか?」
おばさん「ダメなんです。ごめんなさいね。」
私 ガ━━Σ(゚д゚lll)━━ン!!!
  「そうですか(´・ω・`) でももったいないですね壊しちゃうの」
おばさん「そうねえ、みんなそう言いますね。」
おばさん「壊すのはまだだけど、もう今月中には覆っちゃうのよ」
私「今は一件もテナント入ってないんですか?」
おばさん「ようやっと大方出て行って一つだけまだ入ってるんだけど、そこも二十八日までなの。で、そこが出ていったらもう、ね…」
私「本当にもったいないですね〜。なかなか古そう建物なのに。外壁のタイルなんかも前から気になってたんですけど」
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(↑ 件のタイル。 壊しちゃうんなら一枚欲しいと思ってしまう)

おばさん「なんか都の決まりでね、うちのビルだけ歩道にちょっとはみ出しちゃってるんですって。だから仕方ないわねえ。」
おばさん「ごめんなさいね、会社の上の方から「中を見せたり写真を撮らせたりしないように」って言われてるから…。」
私「そうですかぁ(´・ω・`)」
おばさん「でも結構無断で入って来てあちこち見て回ったり写真撮ったりする人もいるのよ。午前中もそういう人が来て、でも事務所にいるとなかなか気付かないからねえ、気付いてから注意したんだけど…」
私「そうですねえ」
おばさん「古いビルとか好きな人が外壁のタイルが貴重だって言ってたわよ」


こんなかんじで、結局見学も撮影もダメでした。
壊してしまうからこそ、写真撮っておきたかったんだけどなあ。残念。
無断で入って行って撮れないこともないけど…それはやっぱり倫理に悖るし…なによりそういうことをする人が結構いるっていうのに驚く。でも、どうせもうすぐなくなっちゃうんなら撮ったモン勝ちっていう気持ちもわかるし。


しかし外観だけなら見放題。ビルが覆われちゃう前にもっと見とかなきゃと思ったのでした。





追記―画像にモザイクを施した経緯など―

数日後再び華僑ビルを見に行った。
壊されちゃう前に外観撮っておこうと思って。

写真撮ったりタイルに見惚れてたりしたら、おばさんが出てきて
「写真は撮らないでって言ったでしょう?」
と注意されてしまった。

私は「内部はダメだけど外観なら撮ってもおk」だと自分に都合よく解釈していたが、おばさんによると「外観も撮っちゃダメ」とのこと。

なので、結局外観も撮影できなかった…
この建物のことを想うと、不憫でならない。なんか厄介なモノ的な扱いで。
まあ「華僑ビル」でググれば写真は内部も外観もかなりヒットするんですけど。

今回載せた画像は、昨年撮ったもの。
あの時もっとちゃんと撮っとけばよかった…

posted by 三蓋松 at 16:20| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

墓場にて(前)

この頃墓ばっかり行ってるなあって気付いた。

先週は八百屋お七の墓行ったし、谷中霊園も行ったし。
昨日は雑司ヶ谷霊園と護国寺。


もうすぐ荷風先生の命日(四月三十日)だからちょっとお墓でも行ってみようと思っだんだけどろくすっぽ調べもしないで行ったもんだから、荷風先生のお墓が何処にあるんだかさっぱりわからない。

だいたいこの辺りだっていうのは見当ついてて、それでも見つからなくて雑司ヶ谷霊園内を行ったり来たり。

半ばあきらめつつ歩いていたら、知らないおじいさんに声をかけられた。もうこの時は本当にこのじいさんが神様じゃないかって思った。

「荷風のお墓を探しているんですけど、ご存知ですか?」って聞いたらあれこれ教えてくれちゃって、そのおじいさんが知ってること知ってること。

作家のみならず、芸術家、政治家、官僚、大名、藩士、学校創始者・・・・もう本当に知識の泉。
そのおじいさんは自らのことを多く語らず。でも学歴コンプレックスがあるようで、頻りに「学校でてないから」「尋常小学校出ただけだから」とおっしゃってましたが。

色々な人のお墓を案内してもらって最後に荷風の墓へ。
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なんと、うろうろと探し歩いている時に通った場所にありました。

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荷風先生、享年七十九歳。孤独な最期でした。
余談だが先日五木寛之の本を読んでいたら、「京成電車で浅草方面にでていくときに、しばしば風采の上がらない老人に出会った。〜〜あとになって、その老人が有名な永井荷風だったということに気づいた。」と書いてあった。



荷風先生、浄閑寺にも石碑があるけど、どうなんだろう?
著名人やら何やらばっかりの雑司ヶ谷よりも、浄閑寺で遊女に囲まれて眠っている方が幸せなんじゃないかなあなどと思ってしまう。変な意味とか厭味で言ってるんじゃなくて…ストリッパーに囲まれてにこにこしている写真がやたらと有名だし誇張されてるけど、本当は深い絶望と孤独な生活。断腸亭日乗とか読むとちょっと切ない。
posted by 三蓋松 at 15:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月04日

二本榎出張所

一月二日、私は高い所に登っていた。
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風が強い。



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レインボーブリッジも見える。



私がいたのは
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ここ。火の見櫓に登っている。



この建物は
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コの字型だ。


ここは何なのかというと
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高輪消防署二本榎出張所。昭和八年生まれのかわいらしい建物だ。


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さすがに
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火の見櫓の階段は急だ。



出掛けたついでにふらりと寄ってみた二本榎出張所。

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お正月だから開いてないかな〜と思ったが、やはりそこは消防署。休んでなんかいられません。
受付にて、おそるおそる「見学できますか?」と尋ねたところ、どうぞどうぞと受け入れてくださいました。



消防士さんに案内されて中を見学。

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ガス灯です。

パンフレットを貰い、案内してくれる消防士さんについて事務室と展示室へ。その後、最初の画像の火の見櫓へ登った。かなり急な階段で、ヒールの付いているブーツを履いていたのでちょっと怖かった。スニーカーなら全く問題なし。
お正月からいい経験をさせてもらいました。

窓、壁、天井、手すりなどの丸みを帯びた造りはどことなく懐かしさを感じさせます。
展示室には半鐘、半纏、龍吐水などもあります。纏は無かった。


二本榎出張所についての詳細は公式サイトへ。


ちなみに女性用トイレはありません。


posted by 三蓋松 at 06:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

今のうちに

奥野ビルの隣の建物が無いうちに、写真を撮っておいた。

奥野ビル

昼時に行ったらちょうど陽が当っていました。
後ろっ側も丸見え。

京橋の明治屋も周囲が空き地になっているので、建物が建たないうちに写真撮っておくといいかも。
posted by 三蓋松 at 13:08| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月03日

緑化についてグダグダ思う

学がある先生方々の間では「東京を緑化しようぜ!」っていうのが流行っているらしいけど…

特に緑が少ないとされている地域でも、大通りから一本入れば意外に鉢植えが多い。
路地に入るともっと多い。

大げさなプロジェクトとしての「緑化」じゃなきゃ駄目なんだろうか。
「小さな緑化」じゃ駄目?
鉢に入った植物じゃ駄目?

まあ今盛んに言われている「緑化」っていうのは、川の方から入ってくる風の通り道に緑が増えることで、都心の気温が少し下がるってことらしいから路地なんかの植木じゃ効果がないんだろうけどさ。

偉い先生方と、実際に地元で暮らしている人々の感覚のズレも気になっちゃう。
昔から暮らしていた人たちは地上げやら重くのしかかる相続税やらで大分少なくなってしまったけど、それでもまだ町に残って暮らしている人たちからしたら、今まで自分たちが暮らしていた町―路地があって、路面電車が張り巡らされていて「歩く」のに適した町―だったのが、さんざ引っ掻きまわしてぐちゃぐちゃにされて―今や大きな建物ばかりで自動車がひっきりなしに走っている町になった―くせに、今更エコやら温暖化やら言われてもねえ。それに、壁面緑化!屋上緑化!ってもねえ。昔から物干しや路地で植木を育てているのは風の通り道とは関係ないから無視ですかそうですかってなもんだよね多分。

だいたいそうやって植木を育てているのは緑化とかエコとかの意識があるわけじゃなくて、緑の少ない地域に住んでいると自然と緑を欲するようになるんじゃないかなあ、だからああやって路地裏で鉢植えを育てているんじゃないかなあと推測。なんとなく一鉢、から始めた物がどんどん増えていった、みたいな。


先日佃島の川沿いを歩いていて、これだって立派な緑化じゃんと思った光景。
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1ブロックごとに各家庭が割り当てられていて、それぞれ好きなように植木を育てているらしい。
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歩きながら植木を見ていると、それぞれみんな、丹精込めてやってるんだなあって伝わってくる。


それにしても久しぶりに月島・佃を歩いたんだが、月島に思いのほか空地が増えていたので驚いた。
うちの近所で建設中のマンションは施工会社が倒産して、建設が中断してしまったが、月島の空き地たちはこの先どうなってしまうのだろう。
タグ:緑化 エコ
posted by 三蓋松 at 17:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

湊にて(3)


湊はよくいえば静か、悪くいえば寂れている。
湊001湊とリバーシティ.jpg
隅田川を挟んだ向こう側に見える大川端リバーシティ。
石川島播磨のころからは想像もつかなかった変貌を遂げた。



その一方、川のこっち側の湊町は
湊012バブルの傷跡?.JPG
未だバブルの後遺症でボロボロというか、空き地だらけ。
曇りの日に撮ったのでますます寂しく見える。

それでも「リバーシティと湊どっちが好きか」っていったら、湊の方が好きだ。
中央大橋から真っ直ぐ続くリバーシティの辺りは、どーんとでっかいマンションが沢山建っていて歩いていると何か疲れる。「歩く」という行動と周囲の建物の規模が全く合致しないというか。
湊にもビルやマンションはあるけど割合小さい建物が多いので、歩くのに合っているのかもしれない。


湊013民家.JPG
そんな湊町だが、目を惹く建物がまだまだ残っている。
湊014民家.JPG
タグ:
posted by 三蓋松 at 01:08| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月22日

歌舞伎(12)大道具

昨日歌舞伎座建て替えのニュースを見て、自分でも驚くほどショックを受けたんだけど、それはなんでなのかなあと考えていた。そうしたら思い当たることがあった。

以前講演会(のようなもの)で松竹の方が

「歌舞伎座は保存します」

って言っていたのでそれを聞いて安心した記憶がある。

だから今回の建て替え発表がより一層ショックだったんだ。
松竹の人が言ってんだから、歌舞伎座を壊すなんて事はないんだよねーって油断してた。

松竹の人たちには、歌舞伎座ってシンボルじゃないのかなあ。





歌舞伎の大道具について。


いろいろ聞いたはずなんだけどほとんど忘れてしまっているので、覚えている範囲で。


大道具は何を使って作っているのか。
昔はすのこに新聞紙を張り、その上に更に紙を張ってから絵を描いていた。今はベニヤ板を使っている。

使った後はどうするのか。
歌舞伎座と演舞場はしまう場所がないので一回一回バラして処分してしまう。
国立劇場は倉庫があるので仕舞っておいてまた使える。
(歌舞伎座を立て替えてビルになったら大道具も使いまわせるようになるのかな?)

ベタ。
ベタとは、舞台一面にゴザを敷くこと。

舞踊のときは、所作事で足踏みをした時に音が出るように板を敷く。



大道具を作ったり舞台転換するほかには何をするのか。

・幕引き
 (幕がなめらかにストンと落ちるように巻き方にコツがあるそうです。大勢で一列に並んで巻くらしいです)

・雪を降らす

・ツケ
 役者の動きに合わせて音を出す。
 上手側に座り、木がしら(二本の拍子木。カシ)でケヤキの板を打って音を出す。
 (これは実演してくれましたが、物凄い音でした。なかなかツケというのも奥が深いらしいです。その人はなぜツケをやることになったのかというと、先輩にやれと言われたからだそうです。)

・以前はセリ・スッポンも大道具の仕事だったが、今はコンピューター制御。

などなど。


他にも色々聞いたはずなのに全部忘れてる。ツルツル脳味噌万歳。
一年以上前に聞いた事なので、勝手に脳内変換してしまって間違っている事もあるかもです。
posted by 三蓋松 at 01:29| Comment(0) | 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする